ミライ

ミライパパ

はじめまして!ミライのパパ【ゆきひろ】です!

ミライパパ

ミライってどんな子なの?という内容のお話です!


ここではミライのプロフィールや生い立ちやご紹介します!
これからミライの療育で学んだことや経験をブログで紹介していこうと思います。
わが子の療育や選択肢に迷ったとき、このブログが役に立ことがあれば嬉しいです。


ミライは現在10才、【特別支援級】に通う小学4年生です。
田中ビネー知能検査では過去6年、4回の検査で中~軽度【IQ48~54】と診断されています。
一般の子よりもハンデがあるミライですが、我が家の誰よりも明るく陽気な子です。

ミライの乳児期

ミライは6人兄弟の5番目として生まれました。
今の時代ではでは少し大所帯ですねw

出産は予定日より3週間早くきましたが、産後の状態も母子ともに良好でした。
産後~1才児検診までは何ごともなく、すくすくと元気に育っていきました。
1才にならないくらいに兄弟が通っている近くの保育園、0才児クラスへと入園しました。

赤ちゃんの時の成長は順調で、話しかければ笑い返してくれていたし、気になるところを強いて言えば、話しかけても振り向いてくれないことくらいでした。

気になり始めたのは1才6ヶ月の検診からです。
健康診断は良好でしたが、保険師から「言葉の遅れが少し気になります」と言われました。
当時、4人の子の成長を見てきた私は「確かに遅いけど、それは個人差でしょう」とそのときは保険師の言葉をスルーしてしまいます。
そこからしばらくの時が経ちます。

ここまでが乳児期です。
親として特別な苦労もなく、もの静かな子でした。
他の兄弟と比べても何も変わらないミライくんでした。

感情の激しかった幼児期

子供の個性と笑い飛ばし、そこからなんと1年が経過します!
我ながら楽観的すぎて泣けてきますw

保育園の先生から「言葉をあまり発さないことが気になります」と検診のときの保険師と同じことを言われたことでデジャヴが起きます。
そこで数日の間、子供に対する思い込みを捨てて、ミライを観察してみることにしました。
すると「少し変だ」と思うことがいくつか出てきます。

  •  まったく単語を話さない
  •  話しかけても親の顔を見てくれない
  •  何かを伝えたいときは親の手を引いて、親の手を使って伝えようとする
  •  僕が畳に座ると踏み台を持ってきて僕の肩の上で仁王立ち!

最後のは意味不明ですよね?
その時、実際に撮った画像があります。

すごい衝撃の映像ですw
撮影したのは2才8ヶ月の時ですが、その2か月前から同じことを繰り返していました。
当時から何かにつけて高いところに登ることが好きだったミライくん。

はじめて肩に乗ってきた時は、「この子は天才か!」「将来は雑技団!」なんて言ってましたが、2才6ヶ月の子が親の肩の上で仁王立ち…ってやっぱり良くも悪くも違和感ですよね。
そこで初めて決起してミライの診断を受けることにしました。

発達の診断は近くの療育センターで受けました。
初診は正確な【田中ビネー】や【WISC】の検査ではなく、言語聴覚士(ST)作業療法士(OT)がミライの行動や言動、階段の上り下り、おもちゃなどを見せた時の反応を見てざっくりと診断するものでした。
親としてはショックでそのときの言葉は正確に覚えていませんが、「自閉症の傾向が見られます」と、続けて「受け答えや反応から、言葉の知的な遅れの可能性もあります」と言われた記憶があります。
その後、ドクターの診断で改めて正式な発達検査を受けるように勧められます。
そこからミライが4才前くらいまでは僕自身の雑念や葛藤があって、検査を先延ばしをしてしまいます…。

今の僕であれば迷わずに「すぐ検査!すぐ手帳!すぐ療育へ!」とシフトできるのでしょうが、当時の僕は正しい判断ができませんでした。

当時の僕が検査までに時間がかかった理由は次のとおりです。

  •  わが子が自閉症という事実をストレートに受け入ることができなかった
  •  発達障害や自閉症に対して調べなかった
  •  自閉症のことを相談できる場所・相手を知らなかった
  •  ミライが成長すれば自然に解決してくれると思い込んでいた
  •  僕自身の弱さ、わが子から目を背けていた

ミライが成長していくにつれて、言葉が伝わらないもどかしさからなのか、日増しにカンシャクがひどくなりました。
一度、スイッチが入ると疲れるまで止まらずエスカレートするばかり…。
偶然が重なって怒ったときにドアのガラスを割ってしまったこともあるミライくん。

そこでミライが4才になるくらいにはじめて児童相談所で発達検査を受けます。
児童相談所で発達検査!?児童相談所って子供を虐待から保護してるイメージですよね。
児童相談所はイメージ通りの保護のほかにも、子供全般の保護的な役割を担っているようです。

病院などで発達検査をすると診断書作成料がかかりますが、児童相談所であればもろもろの料金が無料です。

検査内容は【田中ビネー知能検査Ⅴ】という検査で、検査員が簡単な設定と指示をしてミライがそれを達成することができるか、またどこまで言葉を理解しているかといった検査でした。
結果は【IQ54】で言葉の理解度は通常の子の1/2くらい、もらった療育手帳は【軽度】となりました。

療育手帳の等級の基準は下のとおりです。

等級知能指数
 1度(最重度)IQがおおむね19以下
2度(重度)   IQが おおむね 20~34以下
3度(中度)   IQが おおむね 35~49以下
4度(軽度) IQが おおむね 50~75
この基準は東京都の基準です。
自治体によって変わり、最重度のない3等級制のところもあります。

その後、言語トレーニング(ST)作業トレーニング(OT)を月1~2回のペースで小学校入学までの間まで継続して行ってもらいました。

保育園も年長になったころ、ミライに小学校の分岐点が訪れます。
小学校を【特別支援学級】か【特別支援学校】のどちらへ入学の選択をするのかということです。

特別支援学級は地域の小学校に発達支援クラスが設置されていて、通常の子たちが通っている小学校の中にある特別支援学級というクラスです。
特別支援学校知的な遅れや、肢体不自由な子が通う専門の学校です。
特別支援学級はすべての小学校にあるわけではなく、特別支援学級が設置されていない小学校もあります。

兄弟が通っていた一番近い小学校には、特別支援学級はありません。

どちらの選択肢も一長一短があり、夫婦で悩んだ結果、判断した基準は次の通りです。

  •  子供のレベルにあった学校なのか?
  •  子供の性格、気質にあった雰囲気の良い学校・優しそうな先生はいるか?
  •  小学校生活の6年間をエンジョイできそうか?

上の内容から3つの学校の見学に行って、『最寄りの小学校よりも少し離れた場所にある小学校の特別支援級』に決めました。
はじめは近くの特別支援学級を考えていましたが、見学に行ったら軍曹のような先生が生徒をまとめていて少し怖い雰囲気でしたw

小学校の入学のことは実際のところ何ヶ月も悩みました。
悩みが長期化した原因はミライのレベルにちょうど良いと感じた学校がなかったことです。

親の負担が少ない近場の小学校は軍曹のような先生が率いるクラス、離れた学校では登下校に親のサポートが不可欠です。
レベル的には特別支援学級はミライのレベルでは不足している印象で、特別支援学校は少しあまる印象を受けました。
最終的には親の決断が求められるはじめの選択肢です。

わが子にとってのより良い選択は、気力と体力を使うことで簡単に思えてハードです!
また、療育は普通の育児よりも親の支援性が強く、根気が必要なことも事実です。
子どもに対する理想と現実のバランスはとても大事なことだと考えています。
ミライができたことには素直に喜び、できなくても誰かを責めたり悲観しないように気をつけています。
僕が療育で意識していることは、年越しそばのように細く長くです!

一歩ずつ成長している小児期

保育園にも恵まれ無事に予定していた小学校へと入学することができました!
入学してからアクシデントがあったとすれば、見学したのときに決め手となったとても雰囲気のいい先生が入学と同時に転任してしまったことです。
学校生活に慣れ始めたころ、他の学校へ行ったことを聞かされ啞然とした覚えがありますw

STとOTは小学校入学までで自然に卒業となり、まだまだ学ぶことが多いミライでしたが、理由は『小学校がSTとOTの同等の訓練を担う場所』だからだそうです。

小学校に入学してから特別支援級の独自のルールで驚いたことはいろいろありました。

  •  特別支援級の子たちも通常級の子たちと一緒に運動会など行事に参加する
  •  毎年、授業の一つとしてお泊り教室がある!(参加は任意)
  •  夏休みの宿題量がとにかくすごい!(1年生の時はプリント200枚くらい)

上にあげた内容は学校によって差がある内容です。
特別支援級は通常級よりも難易度を下げてくれるという、僕のよくわからない思い込みはひっくり返りましたw

さまざまなことがありましたが、今は小学4年生で成長するにつれてできることも増えていきました。
ミライの発達検査のIQは変わらず50前後で維持されてます。
検査員の方の話では同じ発達検査でも年齢によって問われる難易度が上がっていくそうです。
なので、「IQが維持できていることは、しっかりと心も成長しています…」だそう。

まとめ

ミライは人との巡り合わせに恵まれている子だと思います。

ミライが自閉症と診断された当時のことです。
療育の専門の保育園を紹介してもらい転園をするか?とすごく悩んでいた時、赤ちゃんからミライの保育をしてくださっていた保育士の先生が「私に預けてもらえませんか?」と言ってくださったのです。

その先生は療育に特別な知識があるわけではなく、とても一般的な保育士さんです。
保育士として若い先生だったので、そのときは勢いあっての発言だったのかもしれません。

当時、「本当に今のままでいいのか?」と考えていた僕の心の悩みを溶かしてくれました。
ミライのことを自分のことのように悩んでいた僕にとって涙が出るほど感謝のひと言でした。

ミライにとって療育はとても大事なこと、それは今も変わらない事実です。
ですが、ミライのためを思い愛情をかけてくれる人の存在は療育以上に大切だと感じました。
当時のミライにもっとも必要なことは『療育よりも愛情』だと教えてもらいました。

その後もミライは転園をせず、赤ちゃんから入っていた保育園を6年間お世話になりました。
先生は卒園までミライの担任として独学で自閉症のことを学び、ミライのために遊びながら療育ができるたくさんの教材を自作してくれました。
必要な悩みがあるときに必要な人がミライの側に来て助けてくれる…そんな気がする子です。

ミライは普通の子以上にまわりの人のお世話になり、たくさん失敗をして学び成長していくことでしょう。
失敗しても許してもらえることは、今だからできる子供の特権だと思っています。
僕も子供のころはたくさん失敗をして親に叱られ、周囲に迷惑をかけながら大人になりました。
大人になったとき、自分自身で考え判断ができる子になってほしい!それが僕の願いです。

得手、不得手の凹凸の激しい子ですが、小学校生活をエンジョイ中のミライくんの話でした。

2022年2月25日